潮見山西教寺

  廿日市市大野字郷に建てられている「潮見山・西教寺」です。
西教寺の前身は真言宗の護安寺(ごあんじ)で、開祖は教順法師(はじめの名は玄順)で、法師は(西北にある)門山城の祈願所・護安寺覚玄の弟子でした。
護安寺は陶氏から寺領を受けていましたが、陶氏は厳島合戦で毛利氏に敗れ、兵火に焼け覚玄は玄順とともに生国の和泉に逃れました。玄順は覚玄没後浄土真宗に転宗し教順の名を賜り1601(慶長6)年大野村護安に戻り、護安持跡に真宗のお寺を開きました。
1627(寛永4)年に寺号を西教寺と改めましたが、何時から現在地の郷に移築したかは定かではありません。
当初は西国街道の南側(街道を背にして)に建てられていましたが1735(享保20)年火災で焼失、1741(元文6)年再興の時に,、門前に西国街道がくる現在の位置に建てられたそうです。
現在の本堂は1897(明治30)年に建てられました。総欅造りの新しい山門は2008(平成20)年に完成したものだそうです。
幕末の第二次長州戦争の時幕府軍の本陣がおかれたというこの西教寺を訪ねてみようと思っていましたので、立ち寄りました。本堂に比べ山門の新しさが目に入りましたが2008年に完成した山門でした。
本堂の獏の木鼻、虹梁上の彫ものに目が行きました。
09.11.01裕・記編集

09.09.08撮影
広島県廿日市市大野字郷4442

09.09.08撮影
本堂

09.09.08撮影

09.09.08撮影

09.09.08撮影

09.09.08撮影



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