(大野町・歴史の散歩道)陣場

  廿日市市大野陣場に長州征伐時にあったという「陣場」を取り上げました。
A(大野町歴史の散歩道)陣場
この付近を陣場といい慶応2(1866)年長州征伐のとき、幕府軍が検問所を設けていたところです。前方の平地を筏津(いかなづ)といい、古代は海の入江でありました。
(ちょうしゅうせんそう)
長州戦争:
(長州征伐)
(長州征討)

幕末期、徳川幕府の長州藩征討戦争。
1864(元治元)年7月、蛤御門の変での皇居への発砲を理由に幕府は出兵。四国艦隊下関砲撃事件により保守派に実権が移っていた長州藩は、抗戦せずに幕府に降伏(第一次)。その後、長州藩では高杉晋作らの討幕派が反乱により実権を握り、幕府と対立。
幕府は1866(慶応2)年6月再征を開始するが、諸藩の反対などで士気あがらず、挙藩体制の長州軍に各地で敗れ、再征は失敗、幕府の権威は急速に衰えた(第二次)。
(旧)大野町・歴史の散歩道に入ってすぐ目にした説明板でした。地図をみると、字名だったのでしょういまも大野陣場となっていますので、140余年前長州戦争に端を発する地名になっているように思いました。
長州戦争の事はほとんど知らなかったわたしですので、少しづつ調べていこうと思っています。
09.11.12裕・記編集

09.09.08撮影
広島県廿日市市大野陣場1287付近

09.09.08撮影



「古墳遺跡遺構など」編



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「旧(佐伯郡)大野町」編





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