(旧大野町の)孝子久蔵の遺跡・碑

  廿日市市大野高畑に建立されている「孝子久蔵の遺跡」碑です。
※この碑は、大野町郷土誌委員会が建立したものです。
久蔵は、江戸末期の人で、(佐伯郡大野村)高畑に住み孝子の誉れが四隣に高かった。
殊に父の死後盲の母に仕えては自らの食を減じてその好物をもとめ常に母を背負って寺院に参詣する等母の喜びを以て己が喜びとした。
寛政五(1793)年七月藩主(浅野重晟)は米三俵を贈り孝子の鑑として之を賞した。
こうし
孝子
親孝行な子供。孝行息子。
旧西国街道沿いに建てられていた高畑貝塚跡説明板をみて、その場所に行ってみようと下っていく途中でみたこの碑でした。大野町教育委員会が設置したものではなく大野町郷土誌委員会が建立したものでしたが、現代では死語になりつつある?篤行、義人:孝子節婦という言葉を思い出し立ち止り(わたしは)この碑をみたのです。
それは、『仁保村志』(昭和4年発行)をみたとき24章ある中で第8章に「篤行者と義人」をもうけ孝子を取り上げていたことで、昔は親孝行というものを村の歴史に残す(遺す)べき出来事(人物)であったということを知ったからなのです。
ここ大野村でも孝行息子の伝承がなされ、それを郷土史家は遺すべき事ととらえて石碑を建立されたと思ったのです。
09.11.16裕・記編集

09.09.08撮影
広島県廿日市市大野高畑 (1224、1225付近) 

09.09.08撮影
孝子久蔵の遺跡 大野町郷土誌委員会建之



「その他」編



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「旧(佐伯郡)大野町」編





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