(大野町・歴史の散歩道)高庭駅家跡、濃唹駅跡

  廿日市市大野高畑に過ってあったという(古代)山陽道「濃唹駅跡(高庭駅家跡)」を取り上げました。
   E高庭駅家跡(たかにわのうまやあと)、濃唹駅跡(のおえきあと)
645年の大化改新によって都と地方とを結ぶ重要な道として7つの道が官道とされ、この七道は大路(だいろ)・中路・小路と3つに区分されましたが、大路は山陽道だけで、都と大宰府とを結ぶ最も重要な官道として位置付けられました。
(広島)県内の山陽道は岡山県井原市から入り、山口県岩国市に抜けたもので、その間に備後国に5(『延喜式』では3となっています)、安芸国における古代山陽道の駅は、真良〜梨葉〜都宇〜宇鹿〜木綿〜大山〜荒山〜安芸〜伴部〜大町〜種箆〜濃唹〜遠管の13駅となっています。
旧佐伯郡では、大町駅、種箆(へら)駅とともにここ濃唹駅、遠管(おくだ)駅に通じていました。
濃唹駅と云われる前には高庭駅と呼ばれていたようで、(7世紀後半から8世紀後半頃にかけて編まれた)万葉集にある山上憶良の歌からこの地が高庭駅と考えられているそうです。
後の呼び名、濃唹駅が「おおの」といわれるこの辺りの地名になったと云われてもいるようです。
歴史に精通の方はご存じのように、異説を唱える方々もおられますので、上記記述も一つの説ではありますが。
わが町(旧瀬野川町)も通っている、山陽道を調べているときに駅家を知り、調べていましたがほとんど理解したわけではありませんでした。しかし、詳しくわからないと云うものの、ここ旧大野町で濃唹駅跡(と考えられている地)に立てることを(わたしは)喜んだのです。
09.11.18裕・記編集

09.09.08撮影
広島県廿日市市大野高畑 

09.09.08撮影

09.09.08撮影



「通り・街道」編



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「旧(佐伯郡)大野町」編





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