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廿日市市大野高畑に建立されている「山上憶良歌碑」です。 |
史跡 高庭駅家(たかにわのうまや)跡顕彰歌碑 |
高庭駅家が大野町高畑に設けられていたことは中央の学界でも早くから認められておるところでこの付近がその史跡です。
大野町制施行二十周年にあたり当町の発祥の地というべき高庭駅家跡を顕彰しこの歌碑を建設しました。
碑の短歌は天平3(731)年6月17日九州の一青年・大伴熊凝(おおとものくまこり)が国司の供人ちなって都にのぼる途中この地で病気にかかり18歳の若い身で遠く家郷の父母を慕い嘆き悲しみながら死去したが、これを本人に代わってその気持ちを時の筑前の国司・山上憶良が歌に作ったもので日本最古の歌集「萬葉集」に載っている歌のうちの一首です。 昭和45(1970)年11月吉日 大野町 大野町文化財協会 |
(やまのうえのおくら)
山上憶良:
(660-733頃) |
奈良前期の官人歌人(万葉歌人)。遣唐少録として渡唐。帰国後伯耆守東宮侍講筑前守を歴任。筑前守時代に大伴旅人と親交。漢文学の学殖深く、その影響下に人生的社会的題材の歌を詠んだ。万葉集に多くの歌を残す。家集「類聚歌林」は伝わらない。 |
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山上憶良の名前と万葉歌人であることくらいしか知らないわたしですので、ここ大野町に歌碑が建立されていることは知りませんでしたし、その謂れは歌碑の根際の石碑(上記碑文)で知ったのです。 |
09.11.19裕・記編集 |