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廿日市市大野高畑に建てられている「一畑薬師堂」です。 |
高庭駅家跡・碑をみたとき後ろ側にお堂があり、碑などをみた後、そちらにまわってみました。
一畑薬師が祀られていました。
一畑薬師は目のお薬師様と云う事だけは知っていましたが詳しいことは(わたしは)わかっていません。 |
一畑薬師教団 (いちばたやくしきょうだん) |
教団の創設は、1953(昭和28)年7月8日で所在地は出雲市小境町一畑寺内。初代管長は大錦祖綱(1911年出雲市生、出雲市禅林寺住職)。二代目管長は飯塚幸謙(1933年生)
、三代目飯塚大幸(現管長)。
本尊は薬師如来。所依の経典は「薬師瑠璃光如来本願功徳経」でその教義を実践、布教するを目的とし、一畑薬師如来を勧請する寺院や教会、信者の集合団体の支部や講社を包括する。 |
教団の起りは、眼病、諸病に霊験あらたかと、昔から一畑の薬師如来に多くの参詣者や信仰者があり、交通の不自由な昔、各地方の集落で、自然石の灯籠を建て(現存500基以上)集まって信仰する(講社の前身)。地方の人にご利益を分かちたいと一畑薬師を勧請し、小寺院や教会が出来、江戸時代には相当数あった。
これを、明治中期、一畑寺十一世教道和尚が組織化して一畑薬師教会とした。
1952(昭和27)年、新憲法下信者の自由をうたった宗教法人法の制定により、既成宗派の再登録を機に、包括法人となったそうです。 |
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(広島市)西区草津でも一畑薬師如来に出会ったことがありましたが、ここ大野町でも出会いましたので調べると、昔から一畑薬師をおまつりしていたそうです。
ここ大野町の一畑薬師如来も昔から祀られていたのだろうと思いましたが詳しいことはわかりません。 |
09.11.20裕・記編集 |