(旧大野町の)大野次郎宅跡

  廿日市市大野土井に過ってあったという「大野次郎宅跡」です。
*邸宅跡の残り香はありません。
G大野次郎宅跡
この付近が、伝説「大野五郎」5人兄弟のうち総領次郎(この人物にあたる豪族)の居宅跡と推定される所です。
*大野町誌p860〜p862にわたって「大野五郎の伝説」が記述されていますので、それを参照しました。
大頭神社縁起書に『はじめ当(大頭神社)社降臨の時、推古天皇 (554-628)より下し給う農民すなわち太郎、次郎、三郎、四郎、十郎とて五人兄弟勅を蒙り、五組に別れて田畑を開き農業を営むなり。大野次郎は当(大野)村の内土居という所に居住せり。屋敷一町四方にして前には大堀を構え、左右に樹木を植え住居せり。この人の居宅を里人御土居と号す。今の土居(現在・土井)という是や、西の方にあたりて大野次郎の霊神あり。兄の太郎は当村下の境鳴川の辺りに住めり。弟三郎は鯛山の辺りに住めり。・・・弟四郎は是より一里上中山という処に住めり。中山の大歳明神というは即ち四郎の霊神なり。上の境を四郎峠といえり。同弟十郎は鯛原という処に住めり。味口(水口)という処に十郎ヶ原という所あり。・・・』とあります。
縁起書の推古天皇の勅命で五人兄弟が土着したとの説は、記述にある次郎の屋敷が平安末期ないし鎌倉時代の土豪の典型的な構えで、時代的に矛盾が在るそうで、これは大頭神社が厳島神社の摂社であることから厳島神社にならい年代を古くしたもであると考えられているそうです。
大野次郎の霊神を祀った(大野)新宮神社にお参りしてからここに設置されている「大野次郎宅・跡」説明板をみましたが、大野次郎につながる物質的な残り香はありませんでしたが、今に残る大野の地名を考えながら撮影しました。
09.11.24裕・記編集

09.09.08撮影
広島県廿日市市大野土井

09.09.08撮影

09.09.08撮影

09.09.08撮影



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