(旧大野町)依田神社

  廿日市市大野八坂に鎮座している「依田神社」です。
依田神社の由来
1866(慶応2)年長州征伐の際宮津藩士依田伴蔵が和平交渉に向かう途中ここ四十八坂に於いて長州軍に狙撃され遂に和平ならずして残念の一声を残して斃れしことに依り爾来残念様と云われ依田神社として其の霊を祭る。
命を奉じて軍騎敵営に向う哀心願う所は、只和平、惜しいかな涙を呑んで中道に斃る。暮畔長に留む残念の声
依田伴蔵を称う: 残念の一声は 四隣に伝わり 芸陽山下 煙塵収まるを 維新の大業 
何によそか成れる 和睦の勲功 此の人を推す
依田伴蔵(よだばんぞう:1823‐1866)
幕末の武士。1823(文政6)年3月23日生まれ。丹後(京都府)宮津藩士。名は直恒。号は翠竹。軍監として軍制改革にあたる。
1866(慶応2)年の第2次幕長戦争に従軍。同(慶応2)年7月藩命により和平の使いとして単身長門(山口県)におもむく途中、長州軍に狙撃されて死亡。44歳。
依田神社前に建っている建立石碑をみると昭和41(1966)年7月本殿一宇を奉造したと刻まれており、宮司・松原朝臣(大頭神社の宮司)、棟梁・胡三二三だったことがわかりましたので、新しい神社であることがわかりました。
過去強風で飛ばされたことがあったのでしょう、ワイヤーロープで飛ばないように固定されていました。
09.12.29裕・記編集

09.10.19.撮影
広島県廿日市市大野(八坂) 

09.10.19.撮影

09.10.19.撮影

09.10.19.撮影
旧・西国街道に案内板が設置されています



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