(旧大野町の)鯛山観音堂

  廿日市市大野塩屋に建てられている「鯛山観音堂」です。
この(鯛山の)観音堂は、法華経石塔の経堂でもございまして、元は鯛山の千人塚附近にあったものです。
(1555年の)厳島合戦の後、敵味方数千人の戦死者の菩提を弔うため、門山城の祈願寺であった護安寺の最後の住職・覚玄阿闍梨などの発願で観音石像を造って自然石の上に安置し、その下に渡の瀬の観音原から小石を運ばせて村人多数により、経文を墨書きして埋め、大供養を営まれたものと伝えられています。
享和の頃(1801-1804)自然石の上に観音像が勿体ないので村人が醵出して高い台石を追加しました。享和癸亥(1803)年夷則天赦日、施主村中老若と刻まれたものと思われます。これは享和三(1803)年七月吉日の事であります。次いで文政十三(1830)年石燈籠一基を原若連中が献じております。昭和のはじめ(大野)西小学校増築工事のため鯛山は無くなり観音堂はこの地にうつされました。
昭和六十(1985)年九月吉日記
観音堂由来・板
大野西小学校の沿革をみれば、1876(明治9)年啄成舎設立まで遡る古い学校であることが分かりました。
1928(昭和3)年12月第2期校地拡張・校舎増築とありますのでその時に歴史を刻んだいた鯛山が無くなったのではと(わたしは)思いました。
10.01.05裕・記編集

09.10.19撮影
広島県廿日市市大野塩屋1-22附近

09.10.19撮影

09.10.19撮影

09.10.19撮影
経文を墨書きした石 文政十三(1830)年石燈籠

09.10.19撮影
(元・鯛山の)大野西小学校の方をみました



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「旧(佐伯郡)大野町」編





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