(旧大野町の)桝かけ神社

  廿日市市大野中津岡に鎮座している「桝かけ神社」です。
祭神:大島庄左衛門、太兵衛(親子)
由来:1667(寛文7)年※の頃この地方を治めていた代官が不正なことを行っていました。
それは農民から年貢米を取り立てるときは一斗二升五合の桝を一斗として計り、売米の時は八升桝を一斗として使用しそのうわ米を横領していました。
そのため農民は困り、百姓一揆を起こそうと企てました其れを知った大島庄左衛門は、命を掛けて公儀に直訴するからと一揆を止めるように説得し、大島庄左衛門、太兵衛親子が江戸へと向かいました。
これを知った悪代官は追跡し大阪で親子を捕え大野村へと連れ帰り、現在の中津岡入り口の木戸口の刑場で死罪としました。後に農民がこの親子を悼み桝かけ神社を建立したそうです。
広島城主四代浅野光晟(1617-1693)の世の中〔徳川第四代家綱(1641-1680)〕
この事件ののち、1669(寛文9)年全国の桝が統一されたそうです。
資料にこの桝かけ神社が載っていましたが、2009年9月一人でぶらり散歩した時は場所がわからなかったのです。10月の時大野歴史ガイドの会・西尾会長に案内していただき、資料にはなかった(上記の)神社の由来を伺いました。
10.01.07裕・記編集

09.10.19撮影
広島県廿日市市大野中津岡1400附近   

09.10.19撮影

09.10.19撮影

09.10.19撮影



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