大野村・宮内村境石碑

  廿日市市大野中山と宮内の境の地に建立されている「大野村・宮内村境石碑」です。
現在、宮内村も大野村もともに廿日市市を構成する市の一部地域になっていますが、
1889(明治22)年町村制施行時佐伯郡宮内村と佐伯郡大野村だったことがわかる石碑と(わたしは)思いました。
1950(昭和25)年4月1日大野村は町制を施行し(佐伯郡)大野町になりました。
1956(昭和31)年9月30日廿日市町+平良村+原村+宮内村+地御前村=(新たな)廿日市町
1988(昭和63)年4月1日廿日市町が市制施行して廿日市市になりました。
2005(平成17)年11月3日大野町と宮島町が廿日市市に編入され(新しい)廿日市市。〔佐伯郡消滅〕
2007年に宮内村と平良村の境界石碑をみて、
宮内村と平良村村境に紛争があったのでしょう1900(明治33)年になって両村長が立合って設置されたことがわかる境界石碑となっていましたが、こちらの石碑をみた時、すんなりと境界が決まったのではと思った石碑でした。
ここは、四郎坂と云われ、大野五郎の伝説がある5人兄弟の一人・大野四郎がこの辺りを開いたことから名付けられたと聞きます。
10.01.12裕・記編集

09.10.19撮影
広島県廿日市市大野中山と宮内の境 

09.10.19撮影

09.10.19撮影
石碑には日付などは刻まれていませんでした



「旧(佐伯郡)大野町」編



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(宮内村・平良村)村境界碑
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「道標など」編





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