(似島)海軍省の標石(柱)

  南区似島町(平和の散歩道・石ヶ窪付近)に残され建っている「海軍省の標石」です。 
似島の軍事施設(検疫所、弾薬庫など)とその周囲が機密保持を含めて要塞地帯に指定されていることを表示するもの。この周辺地域は日常生活などにおいて軍による厳しい規制や制限あるいは禁止処置がなされました。
「海軍省」  「大正十五年八月」(大正15年=1926年)と刻まれていることは読めました。
1898 明治31年7月27日 勅令第176号「要塞近傍ニ於ケル水陸測量等ノ取締ニ関スル件」公布。
明治31年9月28日 陸軍省告示第11号で、呉要塞の周辺区域明示。
1899 明治32年7月14日 法律第105号「要塞地帯法」公布。
明治32年8月11日 陸海軍省告示で呉要塞地帯明示。
1903 明治36年5月1日 陸海軍省告示で「呉要塞」を「広島湾要塞」に改称。
1926 大正15年7月31日 陸海軍省告示で「広島湾要塞」廃止。
かいぐんしょう
海軍省
旧憲法下における内閣の省の一。1872(明治5)年兵部省から独立してできた中央機関。
海軍全般の軍政事務をつかさどった。1945(昭和20)年廃止。
1926(大正15)年当時の海軍大臣は財部彪(たからべ たけし:1867-1949)でした。
南区役所区政振興課発行「南区回遊ルートMAP14似島」をみて学園桟橋降りたところ付近に「後藤新平の像」があると紹介があり、探したのですがわからない、道路が整備された時にもう少し南側に移設されたのかもしれないと少し歩いたところに牡蠣打ち場があり人影をみましたので近づき「後藤新平の像がこの近くにありませんか?」と尋ねたのです、「わたしは中国・・・」ということでどうも中国から働きに来た人らしくわからなかったのですが、道路根際を見るとこの石柱が建っていたのです。それは「陸・海軍の要塞石」ということで「南区回遊ルートMAP14似島」にも紹介がありますので、撮影しました。
似島は陸軍の施設と思っていましたので、海軍?とガイドマップを見たとき思ったのですが、海軍省と刻まれた文字はわたしにもわかりました。
15.10.27.更新    09.03.29.裕・記編集

09.03.07.撮影
広島市南区似島町(平和の散歩道・石ヶ窪付近) 

09.03.07.撮影

09.03.07.撮影
「海軍の標石」と「陸軍の境界標石」 大正十五年八月  海軍省

15.10.10.撮影
「海軍の標石」と「陸軍の境界標石」

15.10.10.撮影
現在、平和の散歩道と名付けられている道路の根際に建立の標石



軍都・廣島関連施設戦跡」編



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海軍省の標石
陸軍の境界標柱
 

 「(南区)似島」編





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