|
南区似島町(平和の散歩道・石ヶ窪付近)に残され建っている「陸軍の境界標石」です。 |
日清戦争終結直後、陸軍が長谷(現在の似島学園の所)の臨時検疫所(後の第一検疫所)を設置する際に、未接収の民有地との境界を示すために建てた石柱。
設置は1895(明治28)年と推定。 |
※ |
1895(明治28)年6月臨時陸軍検疫所が(現在の似島学園の所に)開設
検疫所だけは発電機で電気を使用したそうです。 |
|
にっしんせんそう
日清戦争 |
1894(明治27)年8月から翌(明治28)年にかけて日本と清国の間で戦われた戦争。
朝鮮進出政策をとる日本は、宗主権を主張する清国と対立、甲午農民戦争(東学党の乱)を機に両国は朝鮮に出兵、日本軍は豊島(ほうとう)沖で清国軍艦を攻撃し開戦に至った。日本軍は平壌黄海威海衛などで勝利し、1895(明治28)年4月下関で講和条約締結。 |
りくぐんしょう
陸軍省 |
明治憲法下における内閣の省の一。
陸軍全般の軍政事務をつかさどった。1872年(明治5)設置、1945(昭和20)年廃止。
1895(明治28年4月〜1896(明治29)年9月陸軍大臣(海相兼務)は西郷従道(1843-1902;隆盛の弟)
でした。
|
|
「陸・海軍の要塞石」ということで南区役所区政振興課発行「南区回遊ルートMAP14似島」に紹介がありますので、陸軍の石標だなとはわかったのですが、陸軍と刻んであるのかとみたのですが、わたしには判読ができませんでした。標石の解説は、似島公民館でいただきた「平和の散歩道・似島」の解説を参考にしました。 |
15.10.27.更新 09.03.30.裕・記編集 |