(似島学園)いのちの塔


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いのちの塔(聖徳太子二歳像)
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聖徳太子二歳像      昭和46(1971)年春日 千三百五十年祭に建之
奉讃:櫻田精、吉田豊   彫刻:西田明史
しょうとくたいし
聖徳太子
(574-622)
用明天皇(記紀第31代ようめい天皇:?-587;在位 585-587)の皇子。母は穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇后。名は厩戸豊聡耳(うまやどのとよとみみ)皇子。上宮太子(うえのみやのみこ)法大王(のりのおおきみ)上宮聖王などとも呼ばれた。聖徳太子は諡号(しごう)。推古天皇の摂政(せっしょう)として冠位十二階十七条憲法を制定。小野妹子を隋に派遣して国交を開いた。また、広く学問に通じ、深く仏教に帰依して、法隆寺四天王寺ほか多くの寺院を建立するなど仏教振興に尽くした。著「三経義疏」
  広島市立似島学園小中学校の資料を見ると、1971(昭和46)年3月14日「生命(いのち)の塔(聖徳太子御2歳像)の建立」とあり建立日がわかりました。
平安時代に聖徳太子伝が成立し、中世以降、聖徳太子信仰が盛んになるにつれて、聖徳太子像をつくることが全国的に盛んになり、南無仏像(二歳像)、孝養像(十六歳像)のほか、以前の一万円札図柄にもなった摂政のお姿などが有名なものだそうです。
聖徳太子二歳像は、生まれてから一言も発せられなかった太子が、二歳の2月15日に合掌されて「南無仏(なむぶつ:仏法に帰依するの意)」と唱えられ、同時に御手の間から仏舎利(お釈迦様のお骨)がこぼれ落ち、お身体からは妙(たえ)なる香りが立ち上った、という逸話に基づいたお像で、上半身裸、緋色の袴をつけて合掌しておられます。
また、聖徳太子孝養(きょうよう)像は太子十六歳の時、御父用明天皇のご病気に際してその平癒をお祈りになられるお姿で、身体には袈裟をつけられ、手には柄香炉を捧げもっておられます。
※上記・聖徳太子の像に関する資料は、(奈良斑鳩)法輪寺の資料を参考にさせていただきました。
聖徳太子没622+1350=1972、この像の建立が1971(昭和46)年になることから奉賛者の桜田・吉川両氏は彫刻家・西田師に聖徳太子の像を依頼されたのではと(わたしは)推測をしましたがなぜ二歳なのかは?そして両氏が聖徳太子の像を選ばれ、似島学園(旧第一検疫所)を見渡たせる丘に建立されたその願いは平和を願って建てられたであろうことは推測するのですがそれ以上考える智慧は(わたしには)ないのです。
毎日仏壇に向かって「南無阿弥陀佛」と唱えているので、仏教徒であると思っているわたしですが恥ずかしいことばかりです、仏壇のオヤジがもう少し調べてみたらと云っていたようでしたので、調べてみようと思った時に出合ったのが法輪寺の上記の資料でしたので追記しました。
09.04.17追記   09.04.07.裕・記編集



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