(似島学園)森芳麿先生・胸像

  南区似島町長谷の似島学園に建立されている高藤鎮夫作の「森芳麿先生・胸像」です。
この「森芳麿先生」胸像は、1970(昭和45)年6月高藤鎮夫作で、1971(昭和46)年4月4日栂の実会によって建立されました。
(日本体育協会の)職員だった森芳磨さんは、戦災で身寄りのない孤児たちの教育に一生を捧げる決心(発心)をされ、1946(昭和21)年9月3日わずかな国の援助を得て、この地に「広島県戦災児教育所似島学園」を開設、孤児34人を収容しました。その生活は苦しく自給自足、園児と共に塩をつくり、魚をとり、畑でイモや野菜を栽培したそうです。
1948(昭和23)年4月(国から)養護施設として正式に認められ、
1950(昭和25)年4月1日広島市立似島学園小・中学校が併設され初代校長に就任されました。
1956(昭和31)年に死去されました。
(ほっしん)
発心:
1) 〔仏〕 菩提心を起こすこと。仏となり最高の悟りに達しようと決心すること。また、出家や遁世(とんせい)をすること。発意。発起。発菩提心。
2) 思い立つこと。決心すること。発起。
(ようごしせつ)
養護施設:
1947(昭和22)年制定の児童福祉法に基づき、保護者のいない児童、虐待をうけている児童など養護を要する児童を入所させ、その生活を保障する施設。
似島学園丘に建つ「いのちの塔」をみて降りてきたところで、この胸像をみましたので、前に回り「森芳磨先生」の胸像と知りました、その時は発心と刻まれていたことから、似島学園を創設した方だろうなと思っただけでした。
帰宅後「ウィキペディア」をみると元サッカー日本代表監督・森孝慈の実父ということを知り、やはり親子何処となく似ているなと思いました。
09.04.09.裕・記編集

09.03.07撮影
広島市南区似島町長谷1487     (画像やや左上に「いのちの塔」が小さく写っています)

09.03.07撮影

09.03.07撮影

09.03.07撮影

09.03.07撮影
昭和46(1971)年春栂の実会建立 森芳磨先生 昭和45年6月 高藤鎮夫作(たかとう しずお:1910-1988)



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