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南区似島町家下に建てられている「(似島)真宗接教場」です。 |
似島説教場は約160年〜170年前(江戸時代末期になりつつある天保年間から弘化年間)に建立されたことに始まるそうです。いわゆる安芸門徒と云われる浄土真宗本願寺派に属しています(が、寺院というまでの規模ではないので説教所と呼ばれていたようです)。
似島町民のほとんどが(現・広島市中区)「浄圓寺」か「善福寺」(両寺とも浄土真宗本願寺派です)の門徒になっており、この似島説教場は似島町民の仏壇のようなものであり、1929(昭和4)年頃説教場を二間ほど拡張したそうです。 |
「1941(昭和16)年広島市防空計画」で、似島説教場は地区の臨時救護所に指定され、300人の収容と計画されていましたので、1945(昭和20)年8月6日原爆投下時には臨時救護所として(船で似島に運ばれた)負傷者が収容され、婦人会を中心とする島民が救護活動を行いましたが、十分な治療ができないため、負傷者は、随時検疫所に搬送されました。また、1971(昭和46)年原爆死没者の遺骨発掘時には遺骨の仮安置所になり法要も営まれたそうです。 |
(似島対岸の)仁保地区(と云っても同じ仁保村でした)にも説教所があり、迷信や俗言を気にせず、(仏滅・友引などの)日の善し悪し、(鬼門などの)方向の善し悪しを問題にすること無く仏の教えに導かれ実践する安芸門徒のよりどころになっていたことを(仁保村のことを調べているとき)に知りましたので、この似島にも説教所が建立されていたのかと思いました。 |
09.04.01.裕・記編集 |