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南区似島町南風泊にいまも残る「防空壕」です。 |
第二次世界大戦(太平洋戦争)時、昭和17(1942)年4月18日から米軍の空襲がはじまり、日本各地への空襲が激しくなり陸軍の諸施設があった似島でも、空襲に備えて山肌を利用した『横穴防空壕』がいたるところに造られたそうです。 |
ぼうくうごう
防空壕 |
空襲のさいに待避するため、地下に設けた穴・部屋。
an air-raid shelter. 第二次世界大戦当時独空軍の爆撃を受けた英国ロンドンでは発達した地下鉄を防空壕として使用したそうです。 |
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似島学園から島内北側外周道路をぶらり散歩しているときにみた防空壕跡は1箇所だけではありませんでしたが、防空壕跡を探すことが目的ではありませんでしたので北外周道でみた1箇所だけ撮影していました。
そして、(似島)慰霊碑に行く途中、似島中学附近でみた防空壕跡と思われるところは入口の面積が大きくコンクリート製の壁で塞がれていましたので撮影しました。
2015年被爆70年、似島(原爆死没者)慰霊碑で頭を垂れた後、桟橋に帰る途中この防空壕を少し離れた処から撮影していました。 |
18.04.21,更新 09.05.03.裕・記編集 |