森芳磨の墓

  南区似島町長谷の似島学園が一望できる安芸小富士の麓に建立されている「森芳磨先生のお墓」です。
墓石の側面に没年月日、お名前が刻まれた文字は薄くなっていましたが、森芳磨と読めました。
正面の戒名も薄くなっており正確に(わたしには)読めませんでしたので間違っては失礼になりますので紹介しない事にしました。先生が発心され育てられた似島学園が一望できるこの地にお墓が建てられたのだと思いました。頭を垂れた後撮影しました。
(日本体育協会の)職員だった森芳磨は、戦災で身寄りのない孤児たちの教育に一生を捧げる決心(発心)をされ、1946(昭和21)年9月3日わずかな国の援助を得て、この地に「広島県戦災児教育所似島学園」を開設、孤児34人を収容しました。その生活は苦しく自給自足、園児と共に塩をつくり、魚をとり、畑でイモや野菜を栽培したそうです。1948(昭和23)年4月(国から)養護施設として正式に認められ、1950(昭和25)年4月1日広島市立似島学園小・中学校が併設され初代校長に就任されました。1956(昭和31)年に死去されました。
似島学園校内山の手に建立されている「いのちの塔」を2009年訪ねた時には、すぐ根際なのにこのお墓に気が付かなかったのです。今(2010年)回訪ねたときにお墓があることに気が付き近づいてみました。
敬称は略しました 10.02.19.裕・記編集

10.02.09撮影
広島市南区似島町長谷1487

10.02.09撮影

10.02.09撮影

10.02.09撮影
学園が一望できる丘にお墓は建立されています



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