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南区似島町字東大谷の現在・広島市似島臨海少年自然の家敷地内に建立されている「似島陸軍検疫所跡」碑です。 |
似島陸軍(第二)検疫所跡 |
この地には、明治37(1904)年似島陸軍検疫所が設けられ、日露戦争より第二次世界大戦にいたり長期にわたって、帰還した将兵や武器などの検疫、消毒が行われた。
昭和20(1945年)年8月6日原子爆弾による負傷者の臨時救護所となり、約一万人が収容された。
その後、明日を担う子供たちを育む場として、昭和57(1982)年より整備を行った。 |
昭和61(1986)年3月広島市 |
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似島臨海自然の家の建設に当たって、検疫所の遺跡を残す要望を関係者が訴えたそうですが、結果的には特別なものは残されずこの記念碑がその証として残されただけでした。
1904(明治37)年日露戦争が始まると、陸軍は新たな検疫所を建設し、第二検疫所としました。1905(明治38)年ロシア軍俘虜の検疫が始まったと同時に、似島における検疫は第二検疫所が主体となりました。井戸と、コンクリート舗装(現在、エスキーテニス場の床として利用されています)が当時のものとして残っています。
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臨海少年自然の家・生活棟の根際に建立されていることを知りましたので、2010年3月13日交流ウォークの昼休みの時に撮影に行きました。
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18.04.18.更新 10.03.20.裕・記編集 |