旧・第二検疫所に残る井戸

  南区似島町字東大谷の現在・広島市似島臨海少年自然の家敷地内に残されている「旧・第二検疫所の井戸」です。
似島臨海自然の家の建設に当たって、検疫所の遺跡を残す要望を関係者が訴えたそうですが、結果的には特別なものは残されずここで紹介する井戸も残された数少ない(陸軍第二検疫所の)遺構です。
1904(明治37)年日露戦争が始まると、陸軍は新たな検疫所を建設し、第二検疫所としました。1905(明治38)年ロシア軍俘虜の検疫が始まったと同時に、似島における検疫は第二検疫所が主体となりました。
この井戸と、床のコンクリート(現在エスキーテニス場として利用)が当時のものとして残っています。
新聞報道などで
2011年に通称・平和記念式典の献水場所・17番目の献水採取箇所として、原爆投下直後に多くの被爆者が運ばれ、野戦病院となった旧陸軍似島第二検疫所跡の井戸水が献水行事に初めて使われる事になりました。』という事を知ったので追記しました。
    第二検疫所の井戸
この井戸は、明治37(1904)年日露戦争の開始と共に建設された第二検疫所の重要な生活用水として利用されました。
昭和20(1945)年8月6日原爆投下後には、この井戸の水が多くの被災者の救護に使われました。
平成23(2011)年8月6日の広島平和記念式典から、献水として使用されています。また、8月4日に行われる似島原爆犠牲者慰霊祭でも献水として使われています。
2010年3月9日頂いた似島臨海少年の家発行「活動資料・平和学習」をみていて、この井戸の事を知りましたので、3月13日に撮影しこの頁を編集しました。
2015年訪ねた時にこの井戸にいままでなかった説明板(上記)が付けられていましたので撮影しました。
2018年になりましたが画像も加えこの頁を更新しました。
18.04.17.更新   10.0321.裕・記編集

10.02.09撮影
広島市南区似島町字東大谷182  (現在・広島市似島臨海少年自然の家敷地内)

10.02.09撮影

10.02.09撮影

15.10.10.撮影
(説明板が取り付けられた)井戸  と  (説明板がある)大クスノキ 

15.10.10.撮影

15.10.10.撮影
大クス と 井戸

15.10.10.撮影
井戸 と (手前)大クスの幹

15.10.10.撮影
井戸蓋がステンレスになったようでした

15.10.10.撮影
(ポンプの基礎だろうと思いますので撮影しました)



軍都・廣島関連施設戦跡」編


無知からはじめた豆知識
(原爆忌の献水)



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