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南区似島町南風泊に開校している「広島市立似島中学校」です。 |
馬匹検疫所は、戦地から帰還した軍馬を、(帰還将兵と同じように)薬風呂に入れたり、獣医師が診察をして外地からの病原菌や病害虫の侵入を防いだりするために設置した施設で、この地に増設されたのは1940(昭和15)年のことでした。
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1971(昭和46)年11月似島中学校農業実習地※から推定517体の遺骨と推定100体分の骨灰、その他の遺品が発掘されました。その後、平成2(1990)年9月旧陸軍馬匹検疫所焼却炉跡(現在の市営住宅の場所)からスコップ300杯分の骨片、骨灰が発掘されました。
平成16(2004)年7月、1971年の発掘場所に隣接した場所から、85体の遺骨と65点の遺品が発掘されました。
(発掘された遺骨は、平和記念公園内の原爆供養塔に納骨し、遺品は広島平和記念資料館に保管されています。) |
※昭和26年度から昭和30年代半ばまでグラウンド南側に実習地で農業実習を、正規の学習活動の一部として行っていたそうです。 |
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1947(昭和22)年4月広島市立第四中学校(現:宇品中学校)似島分校として、当時家下地区にあった小学校(現在保育園)の校舎の一部を借りて開設しました。
同(1947)年9月1日家下から現在の大黄に移転しました。教室には検疫所時代に使われていた事務所・倉庫・馬小屋などを応急修理したもので教育環境としては貧しいものでした。
1951(昭和26)年12月木造2階建校舎が完成。
1868(昭和43)年までに鉄筋コンクリート造2階建に改築されました。
1962(昭和37)年度に最多の生徒数181名でしたが、現在2090(平成21)年度生徒数24名、教職員12名と広島市内では最も小規模の中学校です。
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「2004(平成16)年7月似島中学校グラウンドから、85体の遺骨と65点の遺品が発掘さた」ニュースはTV、新聞などで(わたしは)知りました。2009年になりましたが、(似島)慰霊碑に頭を垂れました。
2010年3月交流ウォークの時正門付近を撮影しこの頁を編集しました。 |
15.10.27.更新 10.03.30.裕・記編集 |