(似島・大黄に残る)防空壕

  南区似島町字大黄の似島少年自然の家前に残っている「防空壕跡など」です。
第二次世界大戦(太平洋戦争)時、昭和17(1942)年4月18日から米軍の空襲がはじまり、日本各地への空襲が激しくなり陸軍の諸施設があった似島でも、空襲に備えて山肌(花崗岩層)を利用した『横穴防空壕』がいたるところに造られたそうです。
ぼうくうごう
防空壕
空襲のさいに待避するため、地下に設けた穴・部屋。
an air-raid shelter. 第二次世界大戦当時独空軍の爆撃を受けた英国ロンドンでは発達した地下鉄を防空壕として使用したそうです。
 
2009年に訪ねた時は気が付きませんでした、2010年自然の家に訪ねようとした時に気がついた防空壕跡でした。
(コンクリートではなく)鉄網で立入ができない処置がなされていましたが、覆ったシートの端が捲れていましたので中をのぞくと向う側に明りが見えましたので、旧・第二検疫所(現在・自然の家)から海側に直接出ることを目的にした隧道かもしれないと(わたしは)思いました。
また、この付近にはコンクリートで塞がれた防空壕跡と思われるものもありました。
15.10.28.更新    10.04.05.裕・記編集

10.03.13.撮影
広島市南区似島町字大黄(城の山) 少年自然の家前

10.03.13.撮影

10.03.13.撮影
中をのぞくと向う側に明りが見えましたので防空壕ではなく隧道かなと思いました

10.03.13.撮影
コンクリートで塞がれた防空壕と思いました

10.03.13.撮影
コンクリートで塞がれた防空壕と思いました

15.10.10.撮影
2015年にもみました。やはり防空壕跡と思いました



軍都・廣島関連施設戦跡」編



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「似島」編





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