(金輪島に残る)防空壕

  南区宇品町金輪島にいまも残る「防空壕」です。
第二次世界大戦(太平洋戦争)時、1942(昭和17)年4月18日から米軍の空襲がはじまり、日本各地への空襲が激しくなり、ここ金輪島でも空襲に備えて山肌(花崗岩層)を利用した「横穴防空壕」が造られたのでしょう。
ぼうくうごう
防空壕
空襲のさいに待避するため、地下に設けた穴・部屋。
an air-raid shelter. 第二次世界大戦当時独空軍の爆撃を受けた英国ロンドンでは発達した地下鉄を防空壕として使用したそうです。
 
今回は下船して、島の東側の道路を北に向かい、島西側に位置する金輪島原爆慰霊碑を訪ねる事にしました。
最初にみて撮影したのは、新来島宇品どっく鉄鋼工場横で、旧・隧道へ行く道の所で「危険です!!立ちいらないでください」の標識がありましたので防空壕跡だなと思いました。そこから金輪島東側道路を北に向かって歩きました。そこここで、大小の防空壕をみました。
元陸軍運輸部通称暁部隊金輪島工場が主に島の東側に位置していたことから防空壕が多くつくられたのだろうと思いました。
防空壕を探すのが主目的ではありませんでしたので、それなりにみただけでしたが島西側に防空壕を(わたしは)みて撮影することはできませんでした。
11.08.03.裕・記編集

11.07.09撮影
広島市南区宇品町金輪島

11.07.09撮影

11.07.09撮影

11.07.09撮影

11.07.09撮影

11.07.09撮影

11.07.09撮影

11.07.09撮影



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