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南区宇品町金輪島に造られている「金輪島旧隧道」です。
※現在は使われていません。 |
金輪島の歴史を遡れば、1894(明治27)年日清戦争が始まると、宇品港が陸軍の軍事基地となり、その目の前の金輪島に、陸軍運輸部の造船工場が設けられ、島全体が民間人立入り禁止となりました、とあります。
戦後も50年ほどして1996(平成8)年金輪島トンネルが出来る前まで、この隧道が、金輪島西側と東側を結ぶトンネルであったことは想像に難くないところです。
島の西側に陸軍の造船所が集中しており、特にめぼしい軍事施設があったわけではない島の東側とを、万が一の事を想定した時に峰を越えて行くより隧道を利用することで短時間にいけるということで、戦前に掘削された隧道なのではないのかと(わたしは)考えたのです。 |
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地図上では、長さ200mくらいで、幅は(スケールで測ったわけではありませんが)1間半ほどで、花崗岩質の地盤であることから崩壊の恐れが少ないこと、経済的なことから素掘りの状態の隧道(トンネル)だったのではないかと(わたしは)思いました。 |
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今回金輪島を訪ねた主目的は、原爆慰霊碑を訪ね頭を垂れることでしたが、事前に金輪島の事をNET検索している時に、この隧道を紹介された方が居られましたので、訪ねてみようと思ったのです。 |
東側の入口の扉には鍵があり開けることはできませんでしたが、その横から容易に隧道に入る事が出来ましたので、入って撮影しました。西側の入口は扉には鍵がありませんでしたので、扉を開けて撮影し、撮影後きっちりと締めましたが立ち入ろうとすれば入れます。 |
11.07.31.裕・記編集 |