(金輪島・潮生延命)寿老人

  南区宇品町金輪島に祀られている「潮生延命寿老人」です。
         潮生延命(うしおえんめい)寿老人の由緒<要約>
1999(平成11)年7月大潮の時貝堀に夢中になっていた時妙な感じがした石ころだったのですが陸の方に放り投げました、石崖に当ったか「グス」という音がしたようでしたが、その日は帰りました。帰宅後気になり翌朝捜しましたが見当たらなかったのです。2週間後の大潮の時に生牡蠣と牡蠣殻の付いた真黒い石を捜しあてました。其れを持ち帰り石垣の上に置いていると、風雨にさらされたのでしょう、よく見ると目と耳と口があるように見え、頭巾を被り杖つく寿老人のようでした。そのようなことで、金輪島に携わる方々や、島を訪れた人たちに良い縁があるようにと念じて花崗岩(伊予石)でこれ創作することにしました。これを作り出したのが1999(平成11)年11月でした。
2000(平成12)年7月吉日(弐千年)起・濱屋。布袋像(1995年7月金輪島西側大浜の流木を彫刻した)奉献。
2001(平成13)年2月吉日(弐千壱年)。福禄寿(年代不明猿猴川河口でみつけた石から花崗岩で復元した)奉献
以上、海からの贈物七福神中の、布袋和尚、寿老人、福禄寿、参神体をここに集めました。
5W1H=Who(誰が) What(何を) When(いつ) Where(どこで) Why(なぜ)How(どのように)で云うと、まず、誰がこれらの像を祀ったのかがわからないな〜と、文の中に「芳舟・自書」とありますのでこの人かなと思いましたがそれ以上はわかりませんでした。
三体あるということですが、撮影画像でお分かりのように現在二体しか鎮座されて居られません。
金輪島原爆慰霊碑をみて島の南側に行ってみるかと思って(金輪島トンネルを過ぎて少し行ったところで)いる時にみた石造2体と説明板でした。
原爆に関連して建立された像かもしれないと思い近づいて説明板をみました。「潮生延命さんの由緒」板でした。
読むと金輪島磯浜で貝堀をしていた時にみつけた石が寿老人のようでしたので、縁を感じ、御影石で造り祀ることにしたようなことが記述されていました。歴史は浅いものですが、撮影し、頁に編集しました。しかし、(わたしにはいまいちというかさっぱり)建立者の事がわからぬままでの編集でしたので、ご存知の方はご教授お願いいたします。
11.08.07.裕・記編集

11.07.09撮影
広島市南区宇品町金輪島         (金輪島トンネルを出てから南側道沿い)

11.07.09撮影
福禄寿? と 寿老人?

11.07.09撮影
潮生延命さんの由来・説明板 延命十向観音霊・碑 七福神の内布袋・寿老人・福禄寿説明板

11.07.09撮影
寿老人が鎮座されている辺りから浜辺に出て、元宇品方面をみました



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