(楠那小学校跡の)御大禮記念園・碑

  南区楠那町の現在・楠那公民館前広場に建立されている「御大禮記念園・碑」です。
皇太子(嘉仁親王)は、1912(明治45)年7月30日、明治天皇の死去にともない、皇位を継承して大正と改元し、1915(大正4)年11月10日に京都御所紫宸殿で即位の御大典をあげる。
(たいれい)
大礼:
1)朝廷の重大な儀式。即位・立后など。
2)冠婚葬祭などの大切な儀式。
(たいしょうてんのう)
大正天皇:
(1879-1926)
第123代天皇(在位 1912-1926)。名は嘉仁(よしひと)。明治天皇の第三皇子。
1900(明治33)年5月10日九條節子(15歳)と結婚。1912(大正元)年7月30日明治天皇死去し、皇位を継承、大正と改元。1915(大正4)年即位の大礼。1921(大正10)年以後、裕仁(ひろひと)親王を摂政として政務を執らせた。
(ほうあんでん)
奉安殿:
第二次大戦前・戦中において、学校で御真影(ごしんえい:戦前、宮内省から各学校に貸与された、天皇・皇后の写真)や教育勅語などを保管するために校舎とは別に設けた、小さい特別な建物。
交流ウォーク探検隊の時にみた、御大禮記念園と刻まれた小さな石碑でした、刻まれた文字は碑ではなく園とわたしには読めたのですが、楠那小学校校庭の中に記念の庭園が造られたのかなと思ったのです、今は小学校が移転し跡地となっていますので、奉安殿の根際に、二宮尊徳幼年時像とともにこの石碑も移され残されたのではないかと考えました。二宮金次郎幼時之像は、宇品小学校などでみてきたものと建立時期寄附者などみな同じでした。奉安殿は、戦後も書類庫と名称・用途を変えて残されたようです。
2011年交流ウォークの時再度撮影しましたので、旧・奉安殿、二宮尊徳先生幼時之像の頁を別頁で編集します。
ここ御大礼記念園の昔の面影はほとんど残っていないようでしたが遠景で撮影しました。園の中に(楠とわたしは思いました)切株が残っておりそれなりに成長した木であったように思いました。
11.12.09更新   08.09.11裕・記編集

07.12.26撮影
広島市南区楠那町7-10  (現在楠那公民館前広場) 「御大禮記念園・碑」と「二宮金次郎像」と「旧奉安殿」

07.12.26撮影

11.02.12撮影

07.12.26撮影
御大禮記念園  大正四年十一月十日  

11.02.12撮影
御大禮記念園であった処



「天皇関連碑など」編



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(楠那小学校跡)御大禮記念園・碑
(楠那小学校跡)旧・奉安殿
(楠那小学校跡)二宮尊徳先生之像





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