(観音新町)昭和新開開墾記念碑

  西区観音新町に建立されている「(観音新町の)昭和新開開墾記念碑」です。
現在の観音新町4丁目を除く1丁目から3丁目の区域57町歩(≒565,000u)の造成を広島観音地先埋立株式会社(長沼鷺蔵社長)が設計監理し、(水野組)五代目水野甚次郎(1881-1958)が工事請負人になり昭和4(1929)年10月に埋立が竣工した記念碑です。
広島を分解すれば広い島、広島の町が太田川三角州(五ヶ庄)が埋立を重ねて発展していったことをわたしが云うまでもなくご存知でしょうが、ここで取り上げた「昭和新開開墾記念碑」に刻まれた工事請負人・水野甚次郎を見たとき広島(呉市から広島市へ)が発祥の地である、(後年スエズ運河の浚渫も手掛けた海洋土木で名をはせる五洋建設につながる)水野組の歴史の事を思ったのですが、知らないことばかりなのでまとめには程遠いのです。
08.09.28裕・記編集

’08.07.31.撮影
広島市西区観音新町3-7 

’08.07.31.撮影

’08.07.31.撮影

’08.07.31.撮影






















































































































































1896 明治29年 水野(4代目)甚次郎、呉市に水野組を創立
1929 昭和4年 合名会社水野組を設立
1945 昭和20年 本社を広島市銀山町10番地に移転。8月6日被爆社焼失。10月に広島市宇品町に再建
1964 昭和39年 本社を広島市から東京都港区へ移転
1967 昭和42年 社名を五洋建設株式会社に改める


「その他」編
(土地区画・開発関連記念碑など)
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