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西区観音新町の広島総合グラウンド北側に1949(昭和24)年に建立されている「みちびき地蔵尊」です。 |
縁起 平成5(1993)年9月誌す |
このお地蔵さんは原爆で瀕死の姿となった人達が水を求めつつ遂に川(天満川や山手川など)の中で昇天された数多くの御霊を追福供養するために昭和24(1949)年に建立されました。
この頃食糧難で貝堀などによって水難事故が相次ぎましたがそれ以来なくなりました。夏のお祭は、昭和22(1945)年から催され敗戦直後すべてが荒廃していた時唯一の楽しい行事として永い間生きる希望を与えていただいた歴史があります。世情が一変した今でも自分の本心をよくよく確かめて本心のままをお地蔵さんに直接お願いして対話すれば必ず感応されますので皆様の参詣が絶えません。 |
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ついふく
追福 |
(名)スル
死者の冥福を祈り仏事を営むこと。追善。 |
くよう
供養 |
1)死者の霊に供え物などをして、その冥福を祈ること。追善供養。
2)仏(仏の教えである)法(仏の教えをひろめる)僧の三宝を敬い、
これに香華(こうげ)飲食物などを供えること。 |
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広島の街を流れる川は、東から猿猴川・京橋川・元安川・本川・天満川・福島川(戦後埋立)・山手川(戦後拡幅太田川放水路)の7つの川が戦前流れていました。
縁起書に書かれていますが、被爆した多くの人が水を求めながら亡くなり、どの川もその遺体で埋まりその方々の遺体が潮の干満で海の方に流され満潮時にはさかのぼって、川の中にさまよっていた時期があったと聞きます。
2009年交流ウォーク下見で訪ね撮影しましたので、この頁を編集しました。 |
2015年(通称)平和祈念式典後、久しぶりに立寄りお参りして撮影しましたので、この頁を再編集しました。 |
15.08.18.再編集 09.03.06裕・記編集 |