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西区観音本町に建てられている「慈現山・西念寺」です。 |
慈現山・西念寺は、浄土真宗本願寺派のお寺です。
昭和初めごろから(藤内)遊修釈尼がこの地・観音で布教されて居られたそうで、特に戦争で女手の家庭が多くなりその相談にのっておられた事で、戦後昭和30(1955)年西念寺を開基、初代住職となったそうです。現在の本堂は、平成13(2001)年5月に竣工した事が定礎石に刻まれていました。 |
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西念寺落成記念・碑をみた時、念の字の「今」が逆になっていることは、何か意味があるのかと思ったのです。 |
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観音(かんおん)は、太田川三角州の中州上に位置し、慶長年間(1596-1615)の新開地で、もとは開発者の名によって、「新蔵新開」と呼ばれましたが、この地に新蔵が観音堂を建立した事に由来しているそうです。
1919(大正8)年に広島市観音町となり戸数987戸・4,212人。1932(昭和7)年観音町地先に昭和新開約60町が築成されました。 |
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今(2011)年2月交流ウォーク下見で観音地区を遊歩した時に出合ったお寺でした。昭和45(1970)年5月23日西念寺落成記念・碑に開基住職釈尼遊修と刻んであったし、観音の町自体も新開地と新しいので、お寺は明治以降に創建されたのかなと思いました。しかし、鐘楼をみたとき(わたしがいままで見てきた)鐘楼とは違う形式をしていましたので興味を持って拝見しました。6月の下見の時、現在のご住職、奥様(坊守)が居られましたので、お話をお聞きしましたので、由緒の一端がわかりましたのでこの頁を編集しました。 |
念の「今」が逆になっているのは、西念と記念と同じ碑の中で念が二文字あるということから西念の念が違うように書かれたということでした。また、鐘楼を寄進された方が金さんといわれる朝鮮出身者であった事で、朝鮮様式の鐘楼になったということでした。 |
11.07.23裕・記編集 |