見立山の記念塔 (軍人勅諭拝受五十周年記念碑)
  東区牛田旭の見立山中腹に建立されている「見立山の記念塔(軍人勅諭拝受五十周年記念碑)」です
見立山の記念塔は、1932(昭和7)年軍人勅諭拝受五十周年記念碑として建てられました。
当時見立山は工兵隊の訓練場でした。塔の頂上の球には鷹が乗っていましたが今はありません。
また台座面には銅板が埋め込まれており、塔の5つの面には「忠節」「礼儀」「武勇」「信義」「質素」の金文字が取り付けてあったそうですが、戦時中の金属の供出でいまはありません。
資料は広島市教育委員会発行「広島の石碑:心と形」などを参考にしました
以前、牛田旭1丁目に住んでいましたので、この塔が建っていることだけは知っていましたが、まったく関心なく近くに行ったこともありませんでした。
昨(2007)年女房に何の塔か聞いたことがあるだろうと聞いてみたのですが、知らないと・・・先日、楠那公民館・図書室に立ち寄ったときにみた「広島の石碑:心と形」にこの塔が掲載されており説明がついていましたので、今回近くまで行って撮影し、頁に編集しました。
また見立山の名の由来についてはなんとなく知っていました。
08.02.24裕・記編集

07.07.03.撮影
広島市東区牛田旭1-1 見立山中腹(麓近く)

08.02.20.撮影
住宅街上(見立山中腹)の塔をみました

08.02.20.撮影
見立山(みたてやま) 海抜118.2m
百十二万石の大大名であった毛利輝元(1553-1625) が、吉田の郡山城から、当時五つの寒村※があった太田川デルタに本拠地を移すべく、1589(天正17)年広島城を起工し、1599(慶長4)年に完成しています。
築城地を選定するのに、明星院山(現在:二葉山)や己斐山とともにこの山に登ったことから「見立山」と呼ばれるようになったといわれています。
※鍛冶塚庄、平塚庄、在間庄、広瀬庄、白島(はこしま)庄
見立て(みたて): 1)見てよしあしを決めること。また、見て物を選定すること。



「軍都・廣島関連施設戦跡」編


「牛田・二葉の里附近」編



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