(牛田旭・塚部燈籠の)盃状穴
  東区牛田旭のサンベルモ根際に移設されている「盃状穴がある石灯篭」です。
表面:塚部安全     裏面:弘化五戊申(1848)年四月
現在牛田旭バス停前、サンベルモ東南植込みの中に高さ≒2mの石燈篭が設置されています。
地元民塚部(つかべ:現・牛田旭2)の人によって早稲田神社参道へ寄進されたものだったそうです。その燈籠の台座に6箇所(最大径≒11cm、深さ≒4.4cm)の盃状穴があります。
『盃状穴は、硬い石で叩き、擦り合わせ、時をかけ穴を刻む。しかし今ではその意味を正確に知っている人はいない。牛田の人で子どもの頃意味を知らずに遊んだ人は多かったそうですがだんだんと少なくなってきています。戦後まで本町1丁目の安楽寺にあった手水鉢のふちに盃状穴があったそうで、穴を大きくしたり草を石で叩き緑色の汁を出したり、瓦の破片を水につけて擦り黒い汁を出して遊んだそうです。燈籠台座の穴は燈明油の意味もあったかもしれませんが、明治中頃までに盃状穴の信仰は消滅したと思われ、何かを念じ、祈り、石をも通す民俗信仰を伝えているものでしょう』
※資料は、牛田ニュース「わが町紹介93号」に紹介がありましたので参考にしました
以前牛田旭に住んでいましたので、サンベルモには何度も行ったことがありますが、この燈籠のことは知りませんでした、何年か前舟の安全灯(灯台の役割をした)だったという石燈篭があることを知っているかと兄に聞かれたことがあり知らなかったので、撮影したことがありましたが、そのままになっていましたが、今(2008年5月)回交流ウォーク探検隊で訪ね、盃状穴のことも教えていただきましたので、あらためて撮影し編集しました。
08.06.05裕・記編集

08.05.03撮影
広島市東区牛田旭2-7-5 サンベルモ

08.05.03撮影

08.05.03撮影

08.05.03撮影
盃状穴(はいじょうけつ)
  盃状穴の発生は古く外国では古代オリエント、南洋の島、朝鮮半島などに多く紀元前にさかのぼるとそうで、日本では、弥生時代の古墳の石棺やふき石にもみられ(死者はふたたび生き返ると思われていた)るそうです。
外国から日本へ伝わったのか、発生が別なのかは不明です。エジプトではピラミッドに見られ盃状穴のもつ意味について、女性のシンボルにたとえその形状から生殖と子孫繁栄の性信仰、生産と五穀豊穣祈ったという考え方もあります。



「盃状穴」編



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