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東区牛田早稲田の早稲田神社境内にある「弥生文化時代墳墓」についてこの頁では取り上げました。 |
広島県史跡 指定 昭和33(1958)年3月13日 |
牛田の弥生文化時代の墳墓 |
通称早稲田山にあるこの墳墓は。昭和32(1957)年9月早稲田神社の再建工事中に発見されたました。表土の下1.5mのところから小貝塚が出土し、その下層から当時の広島付近では最初の円筒形の墳墓がみつかりました。そこから座った状態で葬られたと推定される弥生時代中期末(今から約1900年前)の成人男性の人骨が発見されました。弥生時代は、体を伸ばして葬る方法が一般的と考えられているので、このような例は県内では珍しく特異なものです。 |
平成4(1992)年11月20日 広島県教育委員会・広島市教育委員会 |
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この墳墓は、太田川河口の三角州をのぞむ早稲田山(標高約50m)の東斜面に位置しています。
弥生時代中期後半(約2000年前)の土擴墓※です。
土擴は上縁の直径1.5m、深さ1.5mで底には20〜30p大の石がすり鉢状に置かれていました。
土壙の底から70〜80p上部から、頭蓋骨、下顎骨(熟年男性)の一部が検出されました。円筒形の土壙のなかに、座位屈葬の形で埋葬したものと推定される珍しい例です。
土壙の上面には、ハマグリ・カキなどを中心とする小貝層があり、弥生時代中期後半の土器片や石鏃(せきぞく)が出土しました。
なお、西側傾斜面には縄文時代早期(約9000〜6000年前)の遺物包含層が分布し、押型文土器や石鏃などが多数採集されました。 |
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以前、牛田旭1丁目に住んでいましたのでそれとなく、弥生時代の遺跡が牛田にもあったと聞いていましたが、今(2008年5月)回交流ウォーク探検隊で早稲田神社を訪ねましたので、説明板も読み撮影もしました。
帰宅後広島県教育委員会の資料をみて説明板に記述がなかった事も知りましたので、それも加え頁を編集しました。 |
資料は広島県教育委員会の資料を参考にしました |
08.06.01裕・記編集 |
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