(西原6・原小学校根際の)八木用水説明板

  安佐南区西原の原小学校(八木用水側校門)前に設置されている「八木用水説明板」です。
八木用水と地域のかかわり       1995(平成7)年4月 広島市安佐南区
この水路は、八木用水とよばれ、江戸時代の中頃、明和5(1768)年に南下安(現在の安佐南区祇園)の大工・桑原卯之助らの努力によって完成したと云われており、現在は安佐南区の八木町鳴から長束2丁目太田川放水路まで約14kmあります。
当時、この辺り一帯では、稲作中心の農業が行われていましたが、慢性的な干ばつの被害にあい、水不足の解消が大きな問題でした。このため、卯之助は周辺を調査し、測量したうえで計画を立て、農民と一緒になって水路を完成させたもので、農業の発展に大きく寄与したと云われています。現在、水路周辺には多くの家が建ち、水路の役割も農業用水だけでなく下水路も兼ねたものとなっており、昔のような綺麗な水の流れや魚の泳ぐ姿が見られなくなりました。このような多くの先人の苦労により完成した八木用水は、永い年月に渡り時代の移り変わりを見守りながら私たちの生活と深い関わりを持ち続けている水路です。いつの日か昔のような綺麗な水が流れる水路となるよう、これからもみんなの手で大切にしたいものです。
八木用水を巡りだして、最初に梅林小学校根際でこの「八木用水説明板」と同じものが設置されているのをみました。次に古市小学校の裏門の処で、同じ説明板をみました。
八木用水を下ってきた今(2010年9月)回原小学校の根際の八木用水をみているときに裏門附近に説明板をみましたので、撮影し、説明文は同じものですが頁にしました。この説明板は南向きに設置されているからか?15年間の日焼けで、読みにくいものになっていました。
10.10.31裕・記編集

10.09.16撮影
広島市安佐南区西原6-29-6  原小学校の裏門附近

10.09.16撮影

10.09.16撮影
裏門(西側)の八木用水説明板は読みにくくなっていました (校庭南側に設置)二宮金次郎像がみえました

10.09.16撮影

10.09.16撮影
原小学校沿いには、八木用水路上に鉄骨の梁をわたし、半分ほどを鉄板敷きした歩道が作られています



「八木用水関連」編



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西原6丁目の区間
   梅林小学校根際の八木用水説明板
西原4丁目の区間
西原2丁目から長束1丁目東西分岐まで


「旧・祇園町」編





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