毛利元就像
  安芸高田市吉田町吉田の安芸高田市地域振興事業団の処に建立されている「毛利元就公像」です。
毛利元就 (もうりもとなり:1497-1571)
戦国時代の武将。陶晴賢(すえはるかた:1521-1555)、大内義長(1532?-1557)、尼子義久(1540-1610)らを滅ぼし、山陰・山陽10か国を領有する戦国大名となった。
隆元・元春・隆景の三子に与えた一族団結を説く教訓は、三本の矢の教えとして有名。
作品板に「昭和57(1982)年9月 製作寄贈 可部町 栗田義一」とありました。
寄贈者の名前はわかいrましたが作者はと(わたしは)栗田義一さん本人かなと思いました。
製作可部町をみて(わたしは考えたのです)可部の鋳物生産は、江戸時代からはじまったといわれ、現在に至るまで受け継がれていますので、鋳造業を営んでおられる栗田義一さんが製作されたのだろうと考えたのです。
しかし、元就原像の作者が居られるのではと思って像の周りをみました、サインらしきものが像の横にローマ字であるようでしたが、(近づいて像をみると)荒々しい鉄の肌をしていますので(わたしには)読めませんでした。
安芸高田市少年自然の家の前で野外彫刻をみましたので何かなと思いましたが、まず主目的である「三矢の訓跡」碑をみてから、みることにしました。
前に回り近づいてみると武将像だなと思いこの地で武将といえばやはり毛利元就だなと思ったのです。やはり正面作品名板に「毛利元就公像」とありました。
 11.05.14裕・記編集

11.05.04.撮影
広島県安芸高田市吉田町吉田406番地  安芸高田市地域振興事業団

11.05.04.撮影

11.05.04.撮影

11.05.04.撮影

11.05.04.撮影

11.05.04.撮影



「野外彫刻など」編



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「安芸高田市」編





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