いのうぶだゆう  ひ
稲生武太夫碑

  三次市の広島法務局三次支局裏の処に建立されている「稲生武太夫碑」です。
※このあたりが、稲生妖怪物語の舞台になったという屋敷跡だそうです。
稲生武太夫(1735-1803)は、三次藩士の子、幼名平太郎。
16歳の平太郎が、友人と肝試しに、真夜中の比熊山へ登ったところ、平太郎の屋敷へ毎晩のようにお化けが姿を変えて出て脅かしたが、平太郎はすこしもるまず、さすがに三界の魔王も降参したという。
武太夫は実在の武士で、この物語は多くの文学作品や絵巻物になって今日に伝えられ、日本の代表的な妖怪物語の一つとなっています。
三次市
さんぜん
 だいせんせかい

三千大千世界
一人の仏の教化する世界。
須弥山(しゆみせん)・日・月・四大州・上天の一世界を千集めたものを小千世界、それを千集めたものを中千世界、中千世界を千集めたものを三千大千世界という。三界。
  三次市が設置している説明板によると稲生武太夫は1735(享保20)年〜1803(享和3)年の人となっていますが、1928(昭和3)年有田中将が撰した碑文によれば享保17(1732)年生〜寛政12(1800)年没と3年違っていますが、(近年の研究も踏まえてであろう)三次市の説明板の年代をわたしは参考にしました。
本照寺の稲生武太夫のお墓に出会ってから、国前寺のお墓、国前寺での稲生祭、稲生神社と市内をぶらり散歩してきました。少々時間はかかりましたが、今回三次市の稲生武太夫碑のこの頁を編集しました。
 08.07.24裕・記編集

08.07.03.撮影
広島県三次市三次町1074  広島法務局三次支局裏

08.07.03.撮影




















































































退













































廿





























































昭和3年=1928年

08.07.03.撮影

08.07.03.撮影
稲生武太夫碑と比熊山 稲生武太夫碑を後ろからみました



「広島ゆかりの人たちの石碑など」編


「三次市」編



広島ぶらり散歩
  (稲生武太夫関連)
三次もののけミュージアム
(伝説)稲生妖怪物語
比熊山城跡
(三次市の)稲生武太夫碑
三次市歴史民俗資料館
(國前寺)稲生武太夫の墓
(本照寺)稲生武太夫の墓
(稲荷町)稲生神社





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