三次市平和非核都市宣言・碑、(旧・三良坂町)恒久平和への誓い

  三次市三良坂町三良坂の三良坂平和公園に建立されている「(旧・三良坂町)恒久平和への誓い」碑と
「三次市平和非核都市宣言」碑をこの頁では取り上げました。
広島県双三郡三良坂町は、2004(平成16)年4月1日に三次市と甲奴郡甲奴町、双三郡6町村(吉舎町・三良坂町・三和町、君田村・作木村・布野村)が合併して改めて三次市が設置されたことに伴い、三次市三良坂町になりました(ので)。
1986(昭和61)年6月三良坂町非核平和自治体宣言としての「恒久平和への誓い」は合併により失効しましたが、合併した三次市は平成17(2005)年6月23日に「三次市平和非核都市宣言」をし、その精神を市民全体として受け継いでいます。
三次市平和非核都市宣言は、『被爆者や戦争体験者の高齢化により、原爆と戦争の記憶は次第に風化し、忘れさられようとしています。三次市では、世界の恒久平和と核兵器廃絶のために「三次市平和非核都市宣言」を行いました。宣言を契機に次代を担う子どもたちへ平和の尊さを提唱します。』ということで宣言されています。
☆三次市非核自治体宣言草稿検討委員会の構成:被爆・戦争体験者、学識経験者、議会、文化サークル、学校、行政、そして高校生の11名。
2005 平成17年4月 三次市非核自治体宣言草稿検討委員会を設置
平成17年6月23日 市議会において可決
平成17年9月〜10月 市役所東館玄関前に宣言モニュメント設置
市内小中学校(40)、高校(3)、各支所(7)へ宣言モニュメント設置
※三次市地域振興部地域振興課ひとづくり係の資料を参考にしました。
よしおか ひろこうじ
吉岡 広小路
(1959-   )
政治家。早稲田大学卒業。父は元三良坂町長・雅樹。
1987(昭和62)年三次市議会議員初当選。1995(平成7)年広島県議会議員初当選。2001(平成13)年三次市長に初当選、2004(平成16)年4月三次市長に再選、2008(平成20)年4月三次市市長選では落選。2011年4月25日の市長選挙でも落選。
広島県庁議会棟前に1986(昭和61)年3月22日『核兵器廃絶に関する広島県宣言碑』が建立されています。広島市は1985(昭和60)年7月3日『核廃絶広島平和都市宣言に関する決議』をしています。わたしも広島市民であり広島県民ですからその精神を大切にしなくてはと思っています。
09.04.19裕・記編集

 09.04.07.撮影
広島県三次市三良坂町三良坂2825 三良坂平和公園
(旧・三良坂町)恒久平和への誓い

09.04.07.撮影
恒久平和への誓い
わたしたちは文明の野蛮を憂う。
町や村からこどもの笑いや若者の歌声が消え、
いきもののすべてが沈黙し、
いのちと幸せなくらしは奪われる。
これが核兵器なのだ。
わたしたちは人類最初の被爆県民として、
戦争のない平和な世界を築かなければならない。
今、ふるさとの町から日本と地球のすみずみまで、
核兵器をすてよと訴え、
人々の切なる希望を実現することを誓い、
ここに三良坂町の非核、平和宣言とする。
   1986(昭和61)年6月
三良坂町非核平和自治体宣言
三良坂町非核平和自治体宣言「恒久平和への誓い」は、2004(平成16)年4月1日の市町村合併によって失効しましたが、新しい三次市の宣言にその思い継ぐために、ここに記念として残します。
2005(平成17)年8月6日三良坂平和を願う会
三次市平和非核都市宣言

09.04.07.撮影

09.04.07.撮影
    三次市平和非核都市宣言
明日(あした)も笑いあえるように
手をつないでいられるように
私たちは永遠の平和を望む
ひとがひとを傷つけることのないように
核によって命の灯(ひ)が消されることのないように
多くの命が一瞬で消えるその悲しみを
私たちは伝えねばならない
ヒロシマに生まれた者として
これからの未来を担う者として
核兵器を捨てよと世界へ向けて訴えよう
地球という命を護(まも)っていくために
平和を願う思いをこめて
ここに非核平和のまち三次市を宣言する
平成17(2005)年6月23日



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