藝州府中村、龍仙寺風航、其村人に往年孝子の褒章を得しを、したはしめ、良善の風俗を、おこさしめんとて、孝悌を勧むる詞を需めけるに應じて、父母によくつかふるを孝とす、兄長によくつかふるを悌とす、孝悌は、人道の根本なり、人々孝悌に力をつくし、このつとむべき業におこたらざれば、家々皆むつまじく、里々皆ゆたけく、ますます昇平の恩澤をかうふべし。
おこたらす、親につかへて、ふところにはこくまれたる、めくみむくへよ。このかみに、よくしたかひて、つヽしめよ、墻にせめかん、事もあらじと。 |
(1743) |
寛保三年二月 |
御褒美 |
源兵衛子源三郎 |
(1772) |
安永元年八月 |
御褒美 |
六兵衛妻 あさ |
(1802) |
文化六年二月 |
御褒美 |
半十郎弟 庄松 |
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※碑をみると「文化九年五月芝山権中納言持豊」と刻まれていますので1812年建立と(わたしは)思います。 |
府中町役場の資料にこのお寺に建立の「勧孝悌碑」の紹介がありましたので拝見しなくてはと思ったのです。山門をくぐると「共命の松」がすぐに目に飛び込んできて拝見した後、この碑も説明板が設置してありすぐにわかりました。碑文は薄くなっておりわたしにははっきりと読めませんでしたが説明板などでよくわかりました。
以前「仁保村志」(現在・南区の一部の仁保)を読んだとき、わざわざ「篤行(とっこう)者と義人」を第8章(全体で24章あるのに)に記述していましたので、家(門)を守るという時代背景はあるものの現代忘れられつつある先祖への感謝・親への感謝というものを大切にしていたのだと再認識したのですが、この碑を知った時もわざわざ碑を建立することで孝行を大切にすることを住民(村人)に喚起したのだろうなと(わたしは)思いました。 |
09.07.05裕・記編集 |