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東区牛田本町の二又川土手にお祀りされている「地蔵尊」です。 |
2003(平成15)年8月21日中國新聞に「鎮魂の地蔵 お世話46年」との見出しの記事によると
『・・・旧制広島市立中の2年生だった森毅さんが建物疎開中に被爆死された。父親は実家のある兵庫県に転居するとき、毅さんがよく遊んでいた二叉川の土手にお地蔵さまを建立しその死を悼んだそうで、1957(昭和32)年二又土手の近くに住んでおられた太田ヒサ子さんが近所の方と台座や祠をつくり毎日お世話をされている』とのことでした。
2009年になって交流ウォーク会長にこのお地蔵さまの由来を教えていただきました。 |
今(2006年1月)回交流ウォークの資料をいただきコース図を見て、う・う〜んお地蔵さんあったかな〜信仰心がまったくなかったこと丸出しで考えたのでした。いまの住処に引っ越すまではこの近くに住んでいたからです。この前にある古くからの金物屋さんに何か買いにきたこともあったのにと・・・小さな祠にお地蔵様が鎮座されていました。
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この話がなぜか気になったかというと、
一つは、広島市立中というところでした、わたしのおじさんが書き残した「原爆記」に記述があるのですが、牛田に住んでいたおじさんの二男・八束嘉孝(広島市立中学1年)は建物疎開中に亡くなっているという森毅さんと1年生と2年生の違いはあっても同じようなことだったことです。そして、お世話をされていた太田ヒサ子さんが近くの雑貨店と記事にあるのですが、この近くの金物屋さんがあったのですが今はなくなったということなのです。 |
09.01.17更新 06.02.13裕・記編集 |