尾長の民家(厨子二階)

  東区尾長東町にある「厨子二階の民家」を取り上げました。
「二葉の里歴史の散歩道」三本松をみて才蔵寺に行く途中にある卯建(防火袖壁)が付いた厨子二階の民家です(現在は、空家となっています)。
建物の形式から戦前に建てられたのではとわたしは思っています。爆心地からの距離から戦前の建物であれば被爆した建物なのです。
広島市の被爆建物の資料に記載はありません、、この建物が民家ということから被爆建物の指定にはならないんだと思っていますが。
厨子二階(つしにかい):二階の天井が低く、虫籠窓(むしこまど)をもちいる事が多いと云われていますが、
この民家は時代が下っているのか改修されたか小さな連続窓になっています。
江戸時代に、武士を上から見下ろすことになる二階建ては禁止されていたそうで、二階部分は天井が低く抑えられた建屋になったと云われているようですが。
実際には使用人の部屋として使われることが多かったようで、物置として使われることが前提となっているため、外観も物置らしく大きな窓は作られなかったから虫籠窓が付けられたようです。
いまは廻りを現代建築に取り囲まれてしまっていますが、昔は、このような民家が西国街道沿いに軒を連ね町家を形成していたのだろうと思いました。
2010年現在、この建物には誰も住んでおられないようで、瓦屋根も痛み部分的に沈んできており、外壁漆喰が落ちてきており、段々と人が住めなくなってきているようで建物としては痛々しいのですが、外観だけでもと撮影しました。
この形式の民家の呼び名が分からずなかなか頁としてまとまりませんでしたが、厨子二階の民家と云うのがいいのかなと思いましたのでこの頁を編集しました。
2012年裏側の道路からみたこの建物を撮影していました。ただ崩れゆくのをみるだけ?の画像ですが2014年の今になりましたが掲載しました。
   関連頁:(佐伯区五日市町)つし二階建の民家
14.08.10更新   10.09.16裕・記編集

09.07.18撮影
広島市東区尾長東町2-4-8

10.07.08撮影

10.07.08撮影

10.07.08撮影

10.07.08撮影
軒先瓦に細工がありました

12.01.14.撮影



「建物など」編



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「牛田・二葉の里附近」編





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