(神田神社の)日支事変出征記念・石柱

  南区宇品御幸の神田神社境内に建立されている「日支事変出征記念」石柱です。
    (西側)奉献、側面:藤井信幸日支事変出征記念  
    (東側)奉献、側面:昭和12年8月2日大林組■■出張所
(にっしじへん)
日支事変:
日中戦争で、日本側の呼称。
(につちゆうせんそう)
日中戦争:
1937(昭和12年)7月7日盧溝橋(ろこうきよう)事件にはじまり、1945(昭和2)年8月15日日本の無条件降伏にいたるまでの日本と中国の戦争。
当初、日本政府は北支事変とよび、不拡大方針をとったが、軍部は戦線を拡大して主要都市鉄道沿線を占領、宣戦布告のないまま、全面戦争に発展。
中国は1937年9月の第二次国共合作による抗日民族統一戦線が各地で抗日戦を強化した。
1941(昭和16)年12月太平洋戦争の開始後は第二次大戦の一環となった。
当時、日本側は支那事変、日華事変、日支事 変とよんだ。
(おおばやしぐみ)
大林組:
1892(明治25)年創業、1937(昭和12)年商号を 株式会社大林組とした大手総合建設会社。
広島支店は1942(昭和17)年に営業所から昇格した。
何度も訪ね、神田神社の頁も編集しているのにこの石碑に気が付くこともなかったのです。
宇品公民館の「うじな通になろう」というテキストの神田神社の項にこの碑についての記述があったので、2010年2月訪ねました。
1937(昭和12)年日支事変に出征した藤井信幸氏を記念して、大林組が建立したものとわかりましたが、大林組組員(社員)、あるいは関係者なのかは(わたしには)わかりませんが、神田神社すぐのところに住んで居られたそうです。
10.03.14裕・記編集

10.02.27.撮影
広島市南区宇品御幸4-1-15 神田神社

10.02.27撮影

10.02.27.撮影

10.02.27.撮影













10.02.27.撮影
昭和十二年
八月
二日
大林組
■■



出張所



軍都・廣島関連施設戦跡」編



広島ぶらり散歩
(宇品の)神田神社
  日支事変出征記念・石柱





SEO [PR] カード比較  冷え対策 温泉宿 動画無料レンタルサーバー SEO