うじな しょうがっこう
宇品小学校

  南区宇品御幸に建てられている「(広島市立)宇品小学校」です。
1897(明治30)年3月10日宇品神田5丁目で宇品尋常小学校創設。
1928(昭和3)年12月20日現在地(宇品御幸4丁目)に内りました。
現在の校舎は、
1967(昭和42)年南校舎鉄筋コンクリート3階建落成後、
1979(昭和54)年4階増築の校舎になっています。

資料
によれば、宇品国民学校は、
『爆心地より約3.7km校舎小破、原爆被災者の救護所となった』と記述があります。
2005年交流ウォークの時、最近は二宮金次郎の像を見かけなくなりましたよね〜との参加者の声を聞きました、宇品小学校にはまだ残っていると案内していただいたのです。わたしが子どもの頃は何処の小学校(転校で2つ学校にいった)でも見かけたなと思い撮影しました。
並んで紀元2600年記念碑(1940年=昭和15年)がこれも小学校にいまだ残ることも稀有なことではとおもったので頁を編集しました。
交流ウォーク・増田義法先生がこの宇品小学校の校長先生をされ、創立100周年の記念碑の揮毫をされたという事を聞きましたので、この頁に編集していた、「二宮尊徳先生幼時之像」「紀元2600年記念碑」を分離独立させ、この頁も2009年4月校内の桜並木が満開の処を撮影していた画像などを追加し、再編集しました。
各項目を分離独立にあたり、
二宮金次郎の現在のコンクリート製の像は戦後再建されたものだろうと(わたしは)思っていましたので、その事を尋ね、増田先生もそう聞いているとの事でした。
また、紀元2600年記念碑の正面碑銘がセメントで塗りつぶされており(わたしには)読めませんでしたので、教えをこいました。『創立記念誌に、昭和15(1940)年11月10日「皇運扶翼の塔建立」とあるので、書かれているのは「皇運扶翼」だと思われる』と教えていただきましたので、不明だった碑銘がわかりました。
10.12.24再編集    06.01.16裕・記編集

05.12.17撮影
広島市南区宇品御幸4-5-11

10.12.18撮影
創立100周年記念碑と南校舎

09.04.04撮影
宇品小学校の桜並木を校外西側道路よりみる

10.12.18撮影
グラウンド越しに桜並木をみる

05.12.17撮影
二宮金次郎像と紀元2600年記念碑
宇品小学校沿革概要
1897 明治30年 広島市立宇品尋常小学校創設(宇品神田五丁目)
1917 大正6年 高等科が設立され、広島市宇品尋常高等小学校と改称
1928 昭和3年 新校舎新築移転完了(現在地:宇品御幸4-5-11へ)
1939 昭和14年 高等科が分離され、広島市立宇品尋常小学校と改称
1941 昭和16年 国民学校令により、広島市立宇品国民学校と改称
1945 昭和20年8月6日 原子爆弾により校舎は小破、教員・児童に被害あり。
1947 昭和22年 現在の広島市立宇品小学校と改称
1955 昭和30年4月1日 広島市立宇品東小学校が創設され、児童833名が分離。児童数1741名となる。
1997 平成9年3月9日 創立100周年記念式・祝賀会
沿革資料は宇品小学校の資料を参考にしました
   関連頁:宇品東小学校



「建物」編



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     (宇品小学校関連頁)
宇品小学校
(宇品小)二宮尊徳先生幼時之像
(宇品小)紀元二千六百年記念・碑
(宇品小)創立100周年記念・碑


「宇品地区」編





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