(紀元二千六百年記念)皇運扶翼の塔

  南区宇品御幸の宇品小学校に建立されている「(紀元2600年記念碑)皇運扶翼の塔」です。
      正面:(セメントで塗りつぶされています)
      裏面:紀元二千六百年記念   宇品尋常高等小學校職員児童父兄建之
皇運(こううん) 天皇・皇室の運。例文「皇運隆昌(りゅうしょう=勢いの盛んなこと)」
扶翼(ふよく) [名](スル)助けること。扶助。援助。
(きょういくちょくご)
教育勅語:
明治天皇(1852-1912)の名のもとに、明治23(1890)年10月30日に発せられた「教育ニ関スル勅語」。教育の根本を皇祖皇宗の遺訓に求め、忠孝の徳を国民教育の中心に据えた。昭和23(1948)年国会でその失効および排除を決議した。
教育勅語の中に『・・・常ニ國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ・・・』とあり、「常に(明治)憲法を重んじ、いったん国家に危急がせまれば、忠義と勇気を持って国のために働き、天地とともにきわまりない皇室の運命を助けるようにしなければならない。」といっていることから、教育勅語から碑銘を撰した事がわかります。
今(2010年)回この紀元2600年記念碑の頁を分離独立するにあたって、交流ウォーク・増田義法先生が以前この宇品小学校の校長先生をされて居られましたので、セメントで塗りつぶされた紀元2600年記念碑の正面碑銘は何だったか?教えをこいました。『創立記念誌に、昭和15(1940)年11月10日「皇運扶翼の塔建立」とあるので、書かれているのは「皇運扶翼」だと思われる』と教えていただきましたので、不明だった碑銘がわかりました。
10.12.28裕記・編集

05.12.17撮影
広島市南区宇品御幸4-5-11  (宇品小学校の二宮金次郎像と紀元2600年記念碑)

05.12.17撮影





























05.12.17撮影
正面:セメントで碑銘が塗りつぶされています 裏面
宇品小学校沿革概要
1897 明治30年 広島市立宇品尋常小学校創設(宇品神田五丁目)
1917 大正6年 高等科が設立され、広島市宇品尋常高等小学校と改称
1928 昭和3年 新校舎新築移転完了(現在地:宇品御幸4-5-11へ)
1939 昭和14年 高等科が分離され、広島市立宇品尋常小学校と改称
1941 昭和16年 国民学校令により、広島市立宇品国民学校と改称
1945 昭和20年8月6日 原子爆弾により校舎は小破、教員・児童に被害あり。
1947 昭和22年 現在の広島市立宇品小学校と改称
1955 昭和30年4月1日 広島市立宇品東小学校が創設され、児童833名が分離。児童数1741名となる。
沿革資料は宇品小学校の資料を参考にしました



「天皇関連碑など」編



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     (宇品小学校関連頁)
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