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南区元宇品町の観音寺墓地に建立されている「仁田亮三の碑」です。 |
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仁田亮三経歴
1911(明治44)年3月広島県呉市に生まれる。旧制広陵中学校卒業。
海に志を立て瀬戸内海汽船(株)を経て、(株)宇品造船所及び金輪船渠(株)の再建を果たし、広島の産業の振興と日本造船界の発展に貢献しました。1976(昭和51)年執務中に病に伏し、64年の生涯を終えました。勲五等瑞宝章を授けられました。 |
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1884 |
明治17年 |
宇品造船所創業 |
1951 |
昭和26年9月 |
金輪船渠株式会社を設立(旧陸軍野戦船舶本廠造船施設を引継ぐ) |
1980 |
昭和55年7月 |
(株)宇品造船所、金輪船渠株(株)を吸収合併されました |
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資料をみて「宇品造船所戰歿者供養塔」が建立されている事を知り、訪ねたのです。その供養塔の根際というか同じ墓地敷地内ににこの「仁田亮三の碑」が建立されていることを知ったのです。供養塔の頁と一にすることはできないと思い別頁で編集しましたがチト頁を見るのには面倒をお掛けするでしょうがご容赦願っておきます。 |
11.04.25裕・記編集 |
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09.04.04撮影 |
広島市南区元宇品町15 観音寺墓地 |
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09.03.07撮影 |
仁田亮三レリーフ |
仁田亮三の碑 「獨立自活」 |
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09.03.07撮影 |
仁田亮三経歴文(碑表) |
記念碑賛同者・版(碑裏) |
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仁田竹一(にったたけいち:1894-1976 )
海運功労者。広島県佐伯郡大柿町出身。旧制呉一中卒業。
呉第一銀行取締役、江田島汽船取締役、1940(昭和15)年六業者を統合広島湾汽船(株)を設立。1942(昭和17)年旅客船会社を統合し広島県汽船(株)を設立。1945(昭和20)年瀬戸内海汽船(株)を設立、いずれも社長に就任しました。
1950(昭和25)年参議院議員に当選。1951(昭和26)年日本旅客協会初代会長。1965(昭和40)年勲三等旭日中授賞。死去後正四位。
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