桂元澄夫妻の墓

  廿日市市佐方の洞雲寺に建立されている「桂元澄夫妻のお墓」です。
桂元澄夫妻の墓          廿日市町指定史跡
桂元澄(1500-1569)は毛利氏の親類衆と呼ばれる重臣で、芸防引き分け後に西の押えとして、また、周防に侵攻してからの中継基地となった桜尾城の城主となりました。
永禄12(1569)年に没するまで約15年間在城してこの地を治めました。
元澄の墓は大理石製の宝篋印塔であるが風化が激しく特異な形状になっており、基礎中央には大江元澄と刻されている。夫人の墓は後妻の志道広良娘のもので地方色の濃い宝篋印塔である。
後裔・桂太郎(1847-1913)は、城址を廿日市町に贈り、以って桂公園としてのこしています。
後裔桂太郎が明治時代の総理大臣であったことをわたしはまったく知りませんでした。
わたしが受けた日本史は江戸時代で終わりで、明治・大正・昭和初期のころを教えてはいなかったな〜と今頃になって思っています。教育改革を謳った安倍総理大臣が辞意を表明したきょうこの頁を編集していることを奇遇に思っています。2人とも長州人ということしか繋がりはありませんが。
07.09.12裕・記編集

07.04.12撮影
広島県廿日市市佐方1071-1 洞雲寺

07.04.12撮影

07.04.12撮影

07.04.12撮影
大江元澄 夫人の墓 廿日市町指定史跡説明板



「広島ゆかりの人たちのお墓」編


「旧・廿日市町」編



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