弾丸列車計画用地杭

  廿日市市佐方の洞雲寺前に残されている「弾丸列車計画用地杭」を取り上げました。
この杭(くい)の由来-まぼろしの弾丸鉄道-         2008(平成20)年9月佐方アイラブ自治会
1939(昭和14)年鉄道省内部に「鉄道幹線調査会」が勅令をもって設立され、1940(昭和15)年9月鉄道省が「東京・下関間新幹線建設基準」制定、帝国議会で「広軌幹線鉄道計画」承認、国家が1954(昭和29)年までに開通させることを目標としました。
計画は東京〜下関間を9時間で結ぶ「弾丸列車」で、将来は対馬海峡にトンネルを掘って朝鮮半島経由北京行きの直通列車を走らせるという遠大な構想だったのです。
そのための用地買収は(現在の)廿日市市にも及び、買収用地には枕木を利用した杭が東西を貫いていました。
この遠大な計画は太平洋戦争の戦局悪化にともない1943(昭和18)年度に中止となり、買収用地は一転して食糧増産のため払い下げられ、杭の姿も消えてしまいました。
この杭は奇しくも当時の杭が洞雲寺の前に数本残っている中の1本で、珍しいものです。
この地区は現在廿日市駅北土地区画整理事業として再開発されます。やがて田圃も宅地に変わり弾丸列車の計画も忘れられることでしょう。
弾丸鉄道計画の軌間は、朝鮮総督府鉄道(鮮鉄)や南満州鉄道(満鉄)の1435mm(標準軌)で、電化区間は東京〜静岡間および名古屋〜姫路間としていました。
尾道〜徳山間(ここ廿日市地区も)、蒸気機関車牽引なのでトンネルを極力避けるために山陽本線と並行するような計画だったそうです。
だから現在の新幹線から離れた、洞雲寺附近(在来線・山陽本線からもそうそう離れていない)のこの地が用地買収になったそうです(現在の山陽新幹線はここから1kmほど西側(山側)に位置し、6kmを超す長い五日市トンネルになっています)。
2007年はじめて洞雲寺を訪ねたときに、廿日市地区のボランティアガイドをされていたU氏に弾丸列車計画の杭がいまも残っている事を聞いたのです。2008年になって中國新聞に杭の説明板が設置されたとの記事をみたので機会があったら撮影しようと思っていたのです。広島新四国八十八ヶ所霊場スタンプラリー82番になっている洞雲寺でスタンプをいただこうと訪ねた2008年9月に撮影していたのですが、頁としては今になりましたが編集しました。
09.04.26裕・記編集

08.09.28撮影
広島県廿日市市佐方1071-1 (洞雲寺前)

08.09.28撮影

08.09.28撮影

08.09.28撮影



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弾丸列車計画用地杭





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