石州津和野藩御船屋敷旧趾・石碑

  廿日市市桜尾本町に建立されている「石州津和野藩御船屋敷旧趾・碑」です。
桜尾城址の西側一帯ノの地は、津和野藩亀井藩主の参勤交代や物資の輸送に際し、津和野街道を東上して廿日市に宿泊し、海路を経て室津(現・兵庫県御津町)へ上陸していました。
この廿日市の中継居留地が津和野藩御船屋敷で、寛永7(1630)年に(広島藩から借り受けて)設けられ、関船は大小合わせ23隻におよび、約2,500坪の広大な屋敷に多くの船頭や水主が住んでいたそうです。
廿日市のこの地区を訪ねるのは、はじめてで津和野藩御船屋敷があったのかと思ったのです、碑文を読めば芸州広島藩からこの地を借りていたと、1619(元和5)年福島正則の改易で浅野長晟が広島城に入城してから11年目が1630年ですね。
07.09.21裕・記編集
   関連頁:(廿日市)稲生大明神

07.04.12撮影
広島県廿日市市桜尾本町4  (写っている家は船屋敷とは直接関係ありません、この辺りということで撮影しました)

07.04.12撮影



























































































































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「その他」編



広島ぶらり散歩
「旧・廿日市町」編





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