(正覚院の)行者堂・十王像堂

  廿日市市天神の正覚院に建立されている「行者堂・十王像堂」です。
篠尾山大乗寺(ささおざんだいじょうじ)正覚院は高野山真言宗のお寺です。
寺伝によると737(天平9)年行基の開基と伝えられています。
厳島神主家藤原氏が鎌倉荏柄(えがら)天神社を篠尾山に勧請したことから天神坊と呼ばれてきましたが、明治初期の神仏分離令により天満宮と分離。広島新四国八十八ヶ所霊場第八十三番で本尊は不動明王です。
木造 十王像(廿日市市重要文化財 昭和51(1976)年5月15日指定)
十王堂に安置してある。九体ある像は、みな破損が甚だしい。各像は火災にあい、土中にあったりしたものだが、元の姿は優れた像であることがうかがわれる。鎌倉時代の作品と考えられる。(像高60〜73cm 一本造 寄木造)
木造 役の行者倚像(いぞう)(廿日市市重要文化財 昭和59(1984)年2月27日指定)
役の行者堂の本尊である。役の行者は密教と山岳信仰を調和させ、修験道を開いたといわれる。この像は前鬼と後鬼を従える三尊形式になって、この像が室町時代中期の作と裏付ける文献もある。(像高90cm 寄木造)
廿日市のこの地区を訪ねるのは、はじめてでした、廿日市天満宮の隣に位置するこの正覚院が明治の神仏分離で廿日市天満宮から分離されたことを説明板で知りました。
07.10.05裕・記編集

07.04.12.撮影
広島県廿日市市天神3-1   (正覚院の)行者堂と十王像堂

07.04.12.撮影
十王像
十王(じゅうおう)
〔仏〕 冥土にいて死者を裁く一〇人の王。死者は初七日から七七日までの各七日、百箇日、一周忌、三回忌にそれぞれの庁をめぐって来世の形態を定められる。中国、唐代末に道教の影響で成立し、平安中期以降日本にも移入された。
初七日 二七日 三七日 四七日 五七日 六七日 七七日 百箇日 一周忌 三回忌
しんこうおう
秦広王
しょこうおう
初江王
そうだいおう
宋帝王
ごかんおう
五官王
えんまおう
閻魔王
へんせいおう
変成王
たいざんおう
泰山王
びょうどうおう
平等王
としおう
都市王
ごどうてんりんおう
五道転輪王

07.04.12.撮影
役の行者堂 (扉は施錠され像は拝めませんでした9
役小角(えんのおづの:伝・634-706)。役行者(えんのぎようじや)、役優婆塞(えんのうばそく)。
七、八世紀に大和の葛城山にこもって修行した呪術者。妖言を吐いたとの理由で伊豆に流されたと伝えられる。修験道の開祖と仰がれる。神変大菩薩。山上様。



広島の神社仏閣」編


「旧・廿日市町」編



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