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「平成」の由来 |
“史記”五帝本紀の「内平外成(内平かに外成る)」、“書経”大禹謨(だいうぼ)の「地平天成(地平かに天成る)」からで「内外、天地とも平和が達成される」という意味。
なお、平成は慶応(1865年4月7日-1868年9月8日)改元の際にも候補に上がったそうですが、そのときは採用されず今回2回目で採用されたそうです。
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典拠・故実に由来する反対意見に以下のようなものがあるそうです。 |
典拠として史記を書経よりも重視するのはおかしい。書経のみを以て典拠とするべきである。
「平」「成」の文字の中に「干(=楯:たて)」「戈(=鉾:ほこ)」があり「干戈(かんか:戦争を意味する)」に通じる。
平治以来「平」ではじまる元号がないのは、平治が戦役によって混乱した時代であったためであり、「平」ではじまる元号はこれを避けるのが故実である。
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(しょきょう)
書経: |
中国の、五経の一つ。五十八編。尭(ぎよう)・舜(しゆん)から夏・殷(いん)・周の王者およびそれを補佐した人々の言辞の記録。儒家の理想政治を述べたものとして最も重要な経典。
二十九編は秦の伏勝が伝えた「今文尚書」、十六編は孔子の家の壁中から出たといわれる「古文尚書」に含まれていたもので、後者は後代の偽作とされている。
初めは「書」、のちに「尚書(しょうしょ)」と呼ばれていたが、宋代以後「書経」と呼ばれるようになった。 |
(へいじ)
平治: |
1159年4月20日〜1160年1月10日。
二条天皇(1143-1165:第78代天皇)の代。 |
(へいじのらん)
平治の乱: |
保元の乱後、1159(平治元)年12月京都に勃発した内乱。
後白河上皇の近臣間の暗闘が源平武士団の対立に結びつき、藤原信頼・源義朝による上皇幽閉、藤原通憲(信西)殺害という事件に発展した。しかし、平清盛の計略によって上皇は脱出し、激しい合戦のすえ源氏方は敗北した。以後、平氏の政権が成立した。 |
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