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廿日市市地御前の金剛寺旧墓地に建立されている「梶山家(梶山季之)の墓」です。 |
廿日市市地御前公民館の資料に梶山季之のお墓があるとありました。
立ち寄った(金剛寺)旧墓地に確かに梶山家のお墓が昭和40(1965)年に建立されていました。
昭和50(1975)年死去した梶山季之がこの梶山家のお墓にも葬られていているのだろうとおもったのですが。
梶山季之のお墓は、神奈川県鎌倉市二階堂の瑞泉寺にあるようです。 |
金剛寺墓地と呼ばれているようですが、金剛寺というお寺はなく、廿日市市営墓地と地図ではなっていました。梶山季之が朝鮮から引揚げてこの地で育ったということを聞きましたが、確かに梶山家のお墓ではあるようですが、このお墓に分骨され葬られているのかはわたしにはわかりません。 |
07.10.16裕・記編集 |
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07.09.04撮影 |
広島県廿日市市地御前2-7 (金剛寺旧墓地) |
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07.09.04撮影 |
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07.09.04撮影 |
建
之
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昭
和
四
十
年
四
月 |
昭和40年=1965年 |
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梶山季之(かじやまとしゆき) |
1930-1975 |
作家。京城(ソウル)生まれ(京城で学徒動員されたまま敗戦を迎え戦後両親の郷里地地御前へ引揚げた)。広島高等師範学校国文科卒。1958(昭和33)年ルポライターになり、1959年「週刊文春」創刊に際しトップ屋グループをつくる。1962(昭和37)年「黒の試走車」で文壇にデビュー1971(昭和46)年雑誌「噂」創刊。長編「積乱雲」未完のまま取材旅行中の香港で1975(昭和50)年5月11日没した。 |
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