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廿日市市地御前の地御前小学校東北角に建立されている「小林千古生誕地之地碑」です。
※廿日市市地御前の金剛寺旧墓地に建立されている「小林千古生のお墓」も取り上げています。 |
小林千古(1870-1911)本名は花吉。この地で(廿日市地御前)生まれました。
18歳の時に、移民労働者とともに米国に渡り絵画の道を志しました。
その後、米国(カリフォルニア州立大付属美術学校で学び)から欧州(パリのアカデミー・デル-クルースで学び)に渡り、名画に接して絵画に対する理念を学び、日本洋画壇において、宗教画を発表しています。41歳という若さで病没したため、千古の残した絵画は少なく、南薫造(1883-1950)など郷土の洋画壇に与えた影響は大きいものがあります。
彼の代表作には「パッション」「誘惑」などがあり、美術ギャラリーや県立美術館で鑑賞することができます。 |
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藝術に疎いわたしですので、小林千古という画家のことはまったく知らなかったのです。交流ウォーク探検隊として廿日市地区をウォーキングした時、画家であった小林千古の事を教えていただいたのです。
最初に訪ねたのが、金剛寺旧墓地でしたが、その後に訪ねた誕生の地・碑から編集しました。 |
07.10.20裕・記編集 |
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07.09.04撮影 |
広島県廿日市市地御前4-3-1 (地御前小学校東北角) |
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小林千吉誕生之地 |
昭和48(1973)年 廿日市町建之 |
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小林千古のお墓 |
07.09.04撮影 |
広島県廿日市市地御前2-7 (金剛寺旧墓地) |
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